国内でスペシャルティコーヒーのブームを牽引した「丸山珈琲」。1991年に軽井沢で創業してから30年、世界大会でトップクラスの実績を収めるバリスタが在籍し、現在では長野県と東京を中心に全9店舗を持つ。代表を務める丸山健太郎さんによると、原点にはインターネットの存在があるという。仲間を見つけることもあれば、目に見えない「反感」に悩まされることもあった――。【BuzzFeed Japan / 嘉島唯】
ネットでのつながりが世界につれて行ってくれた
―もともと軽井沢で一軒の喫茶店を運営していたのが丸山珈琲のはじまりだそうですが、なぜここまで大きくなったのでしょうか? 当初は妻の実家の元ペンションだったスペースを借りて喫茶店を始め、自分で焙煎した豆を販売していました。大きく変わったのは1999年、2000年ぐらいです。 ―何が変わったのでしょう? 開業からずっと自家焙煎にのめり込んでいたものの、高みに行けないというか……壁にぶち当たってしまった時期でした。焙煎には「究極のレシピ」があると信じて試行錯誤を繰り返してきたものの、実はそんなものは存在しない、焙煎は大事だけども、原料である生豆の質によってコーヒーの味が決まるというシンプルな解答に気がついてしまったんです。
当時はインターネット上でいろんなブログやコミュニティが誕生した時期で、僕もWindowsを買って、夜な夜なコーヒーの情報を集めるようになりました。ネットがなかった時代は、コーヒーの業界紙を読み漁ったり、東京の喫茶店へ視察に行って味の研究をしたりしていましたので、家にいながら情報にアクセスできるのには衝撃を受けましたね。 お店の常連さんの紹介で、自家焙煎店主コミュニティのメーリングリストに参加するようになりました。これが自分の中で大きな転換点だったように思います。メンバーはみな自家焙煎店のオーナーで、当時皆が抱えていた悩み、品質や経営のことについて毎晩率直な意見交換をしていました。 スペシャルティコーヒーという概念がコーヒー仲間の間でも話題になっていたものの、当時手に入るのは英文の文献のみでした。僕は20代の頃にいろんな国を放浪していたこともあって、英語が読めました。そこで資料を翻訳してメーリングリストのメンバー向けに情報を提供することにしたんです。世界中の記事を読んでいるうちに、マイアミでスペシャルティコーヒーの展示会が開かれていることがわかり、メーリングリストの人たちと渡米することにしました。 ―展示会はどんなことが見られるんですか? コーヒー生豆の競売や、バリスタの世界大会、コーヒーの機器の展示販売、いろんな展示があります。日本で見聞きしていたコーヒー文化とは全く違うものでした。これまで私は小さな規模で手間ひまをかけて淹れたコーヒーが上質だと信じてきたのですが、世界ではある程度の規模で生豆を仕入れないと、世界のコーヒー業界の中心人物たちが扱う良い豆を仕入れる土俵にすら立てないことがわかりました。コンテナ単位で買付けないと、買い手としてすら認識してもらえない。欧米の有名なコーヒー会社のバイヤーたちは年間100日以上現地に出向き、良質な豆をコンテナ単位で買付けるのです。自分も早くそのようなレベルにならなければ良い豆を手に入れることができない、と思いました。
からの記事と詳細 ( 「究極のレシピなどなかった」 人気コーヒー店の社長の転換点は、黎明期のインターネットだった(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
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