おいしいコーヒーに出会うと、ついイエメンのことを回想してしまう。もう二度と出会えないかも知れないあの極上の味と、今日も戦時下に生きるイエメン市民たちのことを。
コーヒーは日々の生活にちょっとした幸せをもたらしてくれる。とくに朝の一杯は欠かせない。「コーヒーを飲んでいる」というだけで、すでに素敵な朝の中にいる。これから始まる1日に向け、口に運んだコーヒーは覚醒を導きながらゆっくりと身体をかけ巡る。
私はいつからこんなにコーヒーをたしなむようになっただろうか。国境なき医師団(MSF)に参加する直前まで7年間を過ごしたオーストラリアのメルボルンでカフェ・ラテをよく飲んでいた。カフェ・ラテは、高圧蒸気を通すエスプレッソ式で抽出したコーヒーにミルクを入れたもの。メルボルンは、このカフェ・ラテの本場とも言われている。
MSFに入ってからの私は嗜好(しこう)が変わり、ブラックコーヒーを好むようになった。世界中から集まる海外派遣スタッフの共同生活の場には、No coffee, No mission(コーヒーのない派遣など考えられない)というほどにコーヒーが密着し、私はそれに感化されたようだ。
宿舎にはインスタントコーヒーもそろえられてはいるが、ほとんど見向きもされていない。それよりもコーヒー豆を焙煎(ばいせん)し、挽(ひ)いた状態になっているレギュラーコーヒーが圧倒的に人気だ。現地では電気が不安定な場所も多く、電源式のドリップコーヒーメーカーを見ることはほぼないが、どの現場も、だいたいフレンチプレスと呼ばれるものが置いてあり、挽いた豆をこして飲む。中には自前の直火式エスプレッソメーカーを自国から持参するスタッフもいて、コーヒーがこんなにも世界中で愛されていることを改めて知った。
イエメンコーヒーに出会ったのは、2015年の2回目のイエメン派遣の時だった。首都サヌアにあるMSFのコーディネーションオフィスに立ち寄った際、当時の活動責任者にいれてもらったことがきっかけだ。彼も相当のコーヒー好きで、この味を絶賛していた。私はコーヒーをオシャレに語るような人間でもなく、豆やいれ方にこだわりを持つほどの通でもない。それぞれ豆の違いが分かるのかというと自信はなく、簡易的にいれられるドリップコーヒーバッグや、コンビニのコーヒーでも満足できる。しかし、その時に出合ったイエメンのコーヒーには一発で心をうたれてしまった。
それは、お湯が注がれたコーヒーからあふれ出す香りがすんなりと脳内に到達し、高揚感から始まった。カップに口をつける。酸味は控えめだった。渋み、深み、コクがそろっていて、それら全てが上品にまとまりながら身体に浸透していく。私は目をつぶり黙りこんでしまった。しばらく自分の世界に浸る私を、おそらく期待通りの反応だったのだろう、フランスから来たその現地活動責任者がニコニコしながら眺めていた。心まで整ったようなひとときだった。
からの記事と詳細 ( 世界最悪の人道危機国「イエメン」で出会った極上のコーヒー - 朝日新聞デジタル )
https://ift.tt/3dArrwO
No comments:
Post a Comment