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Thursday, December 9, 2021

消えゆく江戸の伝統野菜 官民一体で歴史守る - 産経ニュース

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今年収穫された三河島菜=11月12日(荒川区提供)
今年収穫された三河島菜=11月12日(荒川区提供)

江戸時代に作られていた伝統野菜を普及する取り組みが都内で進められている。かつて江戸やその近郊の農村では、地の利を生かした地名入り野菜を生産していたが、輸送技術の発達や都市化とともに減少。今では個人栽培が主となり、「幻の野菜」と呼ばれるようになったものもある。荒川区では伝統野菜の継承を目指しており、民間の研究会などと協力して、地域の歴史を守ろうとしている。

古くから全国各地で栽培されてきた在来品種の伝統野菜。農家や有識者でつくる「江戸東京・伝統野菜研究会」の代表、大竹道茂さんは「日本の拠点である江戸には、特に多くの野菜が集まっていた」と話す。

伝統野菜は、大きさがふぞろいになりやすい上、土地によって味も変わり、生産性も低い。そのため、技術が進んだ昭和50年代ころから、形が均一で味もそろいやすい「一代雑種」が全国的に広まっていった。

荒川区の郷土資料には、「三河島菜」や「汐入(しおいり)大根」など区内の地名が入った野菜の名前が残っているが、技術の発達や市街化により、現在は家庭菜園などをのぞき、区内で野菜自体が栽培されなくなっている。

このうち、三河島菜は、タカ狩りに訪れた将軍に献上されたこともあるなど、江戸を代表する漬菜として知られていたが、明治時代に中国からハクサイが日本に伝わると、生産量が激減し、絶滅したと考えられていた。

だが、平成22年になって、江戸時代に仙台藩の足軽が江戸から地元に持ち帰った野菜が、現在でも宮城県内で栽培され、販売されていることが判明。大竹さんらが調べたところ、在来種である三河島菜にあたることも分かり、「青茎(あおぐき)三河島菜」と名付けて復活させた。

これに注目したのが、三河島菜〝発祥の地〟である荒川区だ。24年には、伝統野菜を観光資源とすべく、普及活動に取り掛かった。

都立農産高等学校で収穫される三河島菜=11月12日、葛飾区(荒川区提供)
都立農産高等学校で収穫される三河島菜=11月12日、葛飾区(荒川区提供)

ただ、区内には栽培に適した農地がない。区は、近接し地質が似ている葛飾区の都立農産高校に栽培の協力を依頼。授業の一環として栽培してもらった。ここで収穫された三河島菜は、区の各イベントで販売するなどして活用されるようになり、今年も旬を迎えた11月中旬に、区役所の食堂で三河島菜チャーハンや炒め物などの料理に使われた。

区観光振興課の担当者は「三河島という地名がついており、今後もPRを進め、荒川区の知名度アップにつなげていきたい」と力を込める。

一方、江戸の伝統野菜の保存や普及を目指している大竹さんは「三河島菜の復活はうれしいが、他にも多くの江戸野菜がある」と指摘。「品種が本当になくなってしまう前に見つけて、保存していく必要がある」と訴えている。(永井大輔)

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