今やその“味”を記憶している人も少なくなりつつある『戦中食』を通じて、戦争体験を継承しようと取り組む料理家を取材しました。
料理家・脇山順子さん(86)は、戦時下の食糧難のなかで幼少期を過ごしました。
脇山さん:「『きょうはさつまいも汁粉』と言われたら、飛び上がってうれしかった」
さつまいもを賽の目に切り、茹でるだけ。戦中は『さつまいも汁粉』と呼ばれていました。戦争が進むにつれて、砂糖も配給制となり、甘味に飢えていた生活のなかで、さつまいも汁粉は唯一といっていいほどの、甘い食べ物だったということです。
戦争中に発行されていた婦人誌には、厳しい食料事情が記されていました。
『主婦之友』1944年7月号:「枯葉は一種の乾燥野菜です」「これまで捨ててゐたものをどれだけ生かせるか、まづお宅のごみ箱を調べてください」
人々を苦しめた極度のコメ不足。誌面には『節米』の文字が。食料や穀物を何でも粉状に挽いて食べる、今では聞きなれない『粉食』という言葉まで登場しました。
脇山さん:「母が『石ころ以外は何でも食べられるから』って。学校の子ども同士でも、食べるものが十分でないから骨と皮と筋、骨の見せあいっこしてたような気がする」
8歳で被爆し、食べ物のない時代を生き抜いてきた脇山さん。この経験を今の子どもたちに伝える活動を続けています。
脇山さん:「78年前に戻って、お昼ご飯を作りましょう」
この日、脇山さんが子どもたちに教えるのは“粉食”のなかでも一番のご馳走だった『すいとん』。
脇山さん:「皮ごと全部使えるからね。小さく切ると、全部食べられそうじゃない。捨てるところがどこもない」
すいとんに入れる大根は、葉の付け根は細かく切って食べやすく、なるべく薄く。ニンジンの芯の部分も無駄にはしません。野菜が煮えたらいよいよ、すいとん団子。
脇山さん:「これが、すいとん団子、ぽとんと入れます。これごちそうなのよ。戦争の時に食べられたら、ごちそうだった」
人々の“生き抜く知恵”が詰まった78年前の味。子どもたちの反応は…。
参加し子ども:「美味しい」「戦争中はこの量だったから、もうちょっと食べたいのかなって」
参加した母親:「初めて当時の味を知って、当時の方はそれで一生懸命生きていられたのを、すごく感じて感動してます。ちょっと涙出そうです」
脇山さんは言います「具だくさんは“平和の味”」だと。
脇山さん:「今はご飯もアイスも食べられる。これがずっと続きますようにって、みんなで話し合いをして、平和を守っていかないとだめね。お願いします、若い人。引き継いだよ。託しました」
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