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Sunday, January 24, 2021

「渋沢栄一の珈琲」を再現 サザコーヒーが日記や文献研究 「足跡に思いをはせ味わって」 - 東京新聞

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「渋沢栄一 仏蘭西珈琲物語」を手にする鈴木誉志男さん。手前左は、当時の資料を基に再現された豆=ひたちなか市のサザコーヒー本店で

「渋沢栄一 仏蘭西珈琲物語」を手にする鈴木誉志男さん。手前左は、当時の資料を基に再現された豆=ひたちなか市のサザコーヒー本店で

 「日本資本主義の父」と称される明治・大正期の実業家、渋沢栄一(一八四〇〜一九三一年)が幕末に渡仏した際に愛飲したコーヒーを、サザコーヒー(ひたちなか市)が「渋沢栄一 仏蘭西珈琲(フランスコーヒー)物語」として商品化した。渋沢の日記などの資料を研究し、豆の産地を推定した上で、焙煎の度合いも再現。会長の鈴木誉志男(よしお)さん(78)は「渋沢の偉大な足跡に思いをはせながら味わってほしい」と話している。 (宮尾幹成)

 渋沢は現在の埼玉県深谷市に生まれ、一橋徳川家の家臣や幕臣を経て、明治維新後は新政府に出仕。日本初の銀行「第一国立銀行」(現・みずほ銀行)や日本郵船、東京商法会議所(現・東京商工会議所)など五百以上の企業や経済団体の設立や運営に関わった。

渋沢栄一(国立国会図書館所蔵)

渋沢栄一(国立国会図書館所蔵)

 二月十四日から放送が始まるNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」は渋沢が主人公だ。二〇二四年度中には、福沢諭吉に替わり一万円札の新たな顔になることも決まっている。

 渋沢は大政奉還直前の一八六七年から、最後の将軍・徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣された慶喜の異母弟・昭武(あきたけ)(後に最後の水戸藩主)に随行し、フランスなどヨーロッパを歴訪。昭武と皇帝ナポレオン三世の会見の実現などに活躍した。

 渋沢の日記「航西日記」は、昭武と生活をともにした約二年間、船旅の途上や現地のカフェ、ホテルの部屋などで日常的にコーヒーを楽しんだ様子を記している。

 鈴木さんは幕末研究の専門家の協力を得て、渋沢が口にしたコーヒーの品種を、当時のフランスの最大のコーヒー輸入先だったエチオピア、イエメン産のモカと推定。コーヒー文化に関する古い文献にも当たり、やや深いりの「フレンチロースト」に仕上げた。

 イートインで注文すると、コーヒーと別カップでたっぷりの熱いミルクが添えられる。「航西日記」には「食後、カッフェーという豆を煎じた湯に砂糖と牛乳を加えて飲み、胸中がすこぶる爽やかになった」との記述があり、渋沢もカフェオレとして味わった可能性が高いという。

 サザコーヒーは二〇〇四年、慶喜のひ孫で晩年をひたちなか市で過ごした徳川慶朝(よしとも)さん(一七年に死去)とともに、「徳川将軍珈琲」を開発している。

 慶喜が一八六七年に、大坂城でフランス公使らを接遇した際に振る舞ったとされるコーヒーを再現したものだ。豆はオランダ船が国内にもたらしたと考えられるインドネシア(当時はオランダの植民地)産のマンダリンを使用。サザコーヒーの看板商品となった。

 商品ラインアップには、幕末の英国メディアに次期将軍候補の「プリンス・トクガワ」と紹介された昭武にちなんだ「プリンス徳川カフェ」も。鈴木さんは「史実を踏まえ、物語性のあるものをつくるのが好きなんです」と笑う。

 「渋沢栄一 仏蘭西珈琲物語」は、サザコーヒー本店のほか、水戸駅店と水戸京成百貨店店(水戸市)、大宮店(さいたま市)で先行販売。イートインは七百円、豆は二百グラム千五百円、カップオンタイプ五袋千円(いずれも税込み)。東京都内などの店舗にも順次、取り扱いを広げる予定だ。

イートインではカフェオレでも楽しめる=ひたちなか市のサザコーヒー本店で

イートインではカフェオレでも楽しめる=ひたちなか市のサザコーヒー本店で


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